* pay pathos squall -a/b/c/d/e/fin/# *



「たっだいまーーー!」
「やあ、おかえり」

 ガチャリ。

 はたして、それは開錠の音だったのか。
 ガララと派手に何かが落ちる音がし、缶の転がる音が足元で飛び跳ねた。

 友人宅で服も身も…ついでに過去への感傷も乾かし、元気に帰宅したジュドーは、玄関に入る一歩手前からその笑顔を強張らせた。
 それはどうしてか?…簡単なことだ。玄関にて笑顔で出迎えるシャアがいたからだ。しかも、彼の銃口はとまどいもなくジュドーの頭部を狙っていた。
「あ、あの……」
 またもや、ガチャリ、と重厚な音が響いた。ああ、君か…とシャアはさして面白くもなさそうに呟き、銃の安全装置を掛けていた。そして、何故か、彼の足元には何足かの皮靴と靴磨きの道具が散らばっていた。
「……冗談でしょ?」
 今更なことだが、銃が引かれた後から、ジュドーはおずおずと両手を上げた。
「すまないな、相手の殺気や気配までは気づくが…個別に認識はできんよ。」
「ア、アンタだって、ニュータイプなんでしょ!オレの気配ぐらい分かってくれよ!」
 ジュドーの冷や汗な剣幕を、シャアは「さてな…」と肩をすくめた。
「残念だが…私は『できそこないのニュータイプ』らしくてね。そういう力は、カミーユに任せている。」
「はいそうですか……って、カミーユさん、家にいるじゃんか?!」
(そうベッタリじゃないと発揮できない力ってあるのかよ?!)…と、叫び出したいものを寸前で飲みこみ、ジュドーは己の理性を自画自賛した。下手に怒らして、また銃を抜かれてもしたら、たまらない。
「ああ、……寝ているよ、彼なら。」
「はぁ…さいですか。」
 釈然としない顔で靴を脱ぐジュドーへルームシューズを渡しながら、シャアはベルトとズボンの隙間へ銃を刺した。それを視線の脇に留まらせながら、ジュドーは誰彼にも無防備なカミーユに対し、この男の武装は限度を知らないなと胸の中でうめいた。
「おい、安全装置は掛けたのかよ?」
「手入れに抜かりはない。暴発はしまい?」
 シャアの手にあった銃は、目新しかった。一体、この家に何丁隠してあるのだ、この男。
「………。」
 ジュドーは首を傾げた。
 今の彼は、どうも雰囲気がおかしいと感じる。己が不在であった時間で、彼とカミーユが何を話し合ったか、何を感じあったか…少し興味を抱いた。
 今までは、こんなことを考えることはなかった。個々のプライバシーだと自戒していたし、心配するにしても、子供の時のようなお節介気分は今の自分には起きようもなかった。下手に手を出して、手の甲を引っ掻かれるのはごめんだとも、ジュドーは思っていた。

 靴磨きの最中だったのか、それとも彼のカモフラージュだったかはともあれ、少し照れるように苦笑いを零して、シャアは靴磨きクリームの蓋を閉めた。
「わるかったね、ジュドー。…いつもなら、こんなことはないのだが…」
(あ。そうか。)
 ジュドーは、心の中でポンと手を打った。
 いつもいつも追い出される土曜に、こんなことがあった試しはなかった。邪魔者扱いされたあげくに銃で狙われるような、そんな物騒な試しがあれば、いくらジュドーであってもこの家から飛び出していただろう。銃に脅かされたのは、彼らと再会した瞬間のアレっきりだ。
(……ということは、カミーユさん…よく寝ているってこと?)
 意識がないほど?それって、気絶みたいなものなのか?だから、この男は玄関口で侵入者を警戒していたのか?…絡まる疑問に振りまわされそうなジュドーは、ともかくもこれだけは言わねばと、すれ違うシャアの腕を掴んだ。
「なんだい?」
「…ケダモノ」
「…………」
 彼はフッと息を吐いた。小馬鹿にするように息を吐き、腰をかがめると彼はジュドーと同じ視点まで下がった。
「な、んだよッ?!」
 シャアの眼差しに一瞬怯んだ青年の足は…しかし、その場に踏みとどまった。シャアは彼の強い緑光の視線に己を合わし、その頬へ指をヒタリと触れ合わせた。
「なんなんだよ、言いたいこと言…」
「しかしね、そういう『ケダモノ』を彼は選んだのだよ。」
 ニヤッと歯をみせて笑う、珍しい彼の姿は勝者の奢りを感じさせた。しかし、そんな挑発にのる気もないジュドーは、「男の嫉妬はかっこ悪いだけさ」と鼻を鳴らした。そして、応える彼も「それもそうだな」とそっけなかった。
「勝てない試合に臨むことはみっともないものだな。」
 その言い草に、ジュドーはカチンときた。目を合わせると、シャアはまた笑う。からかわれているのだと悟った。己を卑下しているように見せかけ、その実、相手の悪口を言っているのだ。実に彼らしい、厭らしい手口だ。
「結果ってのは、終わってから分かるもんでしょ?」
 睨むジュドーのプレッシャーを、シャアは余裕でかわす。
「じゃあ、やるかい?」
「?」
 ジュドーは、シャアが指差す方向、天井を見上げて唸った。
「天井?」
「二階でカミーユは寝ている。そろそろ飯どきだ。起こしてくれないか?」
(そういうことか)
 ジュドーは、シャアの不遜な笑みの意味がわかった。
「ああ…わかった、起こしてきます。」
「ありがとう、私は食事の用意をしておくよ。」
 フフフと意味ありげな笑みを互いに浮かべて、シャアとジュドーは目で威嚇しあっていた。下手をすると手足が出そうなほど、張り詰めた敵意が玄関に充満していた。
 フラリと階段を踏みしめ、ふとジュドーは廊下を振りかえった。
「なあ、シャアさんよ、何作るの?!」
「そうだな…軽いものにするか。チャーハンとウェディングスープ」
「あと、肉!」
 背を向けたままヒラヒラと手を振り、「考慮するよ」とシャアはキッチンへと姿を消した。ともあれ、戦利品と副賞は決まったのだ。「肉、肉〜」と意気揚揚してジュドーは階段を駆け上がった。
(ありがとう、なんか言ってる間に寝取られてもしらねーぞ!)
 一度きりの逢瀬の記憶が、ジュドーに余裕を与えていた。それをシャアは知らない。ただ彼は、ジュドーの身軽な足音を傍若無人さか若さゆえだろうと鷹をくくっていた。数分前に見たカミーユの日記が、シャアへ深い安心感を与えていたからだ。…しかし、それでも賭けてしまうところが彼らしい、とも言えた。




 ドカドカと階段を蹴りあがり、派手にドアをブチ開けると、ジュドーは布団の塊に「っただいまーーーーッ!!!」と怒声をあげた。さきほどのシャアへの当てこすり半分、雨なのにタオルを渡した所業への嫌味半分の大声である。
「………」
 沈黙の返答に、いかに布団の中で不機嫌であるか彼の様子が手に取るように分かり、ジュドーはウシシ…と口元に拳を当てた。しかし、ジュドーは知らないのだ…徹夜明けのカミーユが、実はまだ寝入りばなであるということを…。
「カミーユさん、起きて起きて…起ーきーるんだよ!もう、昼だよ!昼!」
 ヅカヅカと部屋を横切り、窓のカーテンを引き千切る勢いで開くと、雨天ではあるが若干室内の雰囲気が明るくなる。
「ハイハイ、起きる、起きる!」
 パンパンと手を叩く音と大声は陳腐な方法であるが、効果的でもある。なにしろ、ジュドーは妹リィナに度々仕掛けられてきたやり方をなぞらえているだけなのだから。ジュドーは腰を曲げ、布団の中でさぞや苛立っているだろうカミーユの顔を覗きこもうとした。が、その瞬間、ヌッと差し出された手足の艶かしさに驚いてその場から飛び退る。
 思わずおよび腰となった時点で、雌雄は決した…かもしれない。
「………ん、なに…」
 布団から漏れ聞こえた掠れ声と衣擦れる音を拾い、ジュドーは官能たる音にゴクリと喉を鳴らした。ゴロリと寝返りを打ったカミーユの手足が布団からはみ出る。シーツがツタのように絡まる様を見て、彼が裸体であると知ったジュドーは後ろ手に壁を引っ掻いた。自然、体は前屈みになってしまう。
(服ぐらい、着せとけよな!シャア!)
 下手すれば、情後の色香に惑わされて、襲いかねないキワドイ理性持ち男がここにいるという危機を知っているのだろうか、カミーユは。…答えは否だ。てんで分かってないからこそ、そのような姿態のままジュドーを傍若無人に手招きするのだろう。
(ああ…アンタさ、たまに残酷だよな)
 シーツに埋もれたオイシイ裸体を拝めるという甘い状況下で『血の涙流す心理』ってのはどうよ〜と己にツッコミ、ジュドーは彼の手招き指招きに一歩一歩床を踏みしめた。
 カミーユは無言でちょいちょい、と指で呼びつけるや否や、呼び寄せた手をグッと握り締め…ガスッとジュドーの顎へアッパーカットを決めた。
「っテェェェッ!!!!!…、な、な、なにすんだよ、アンタ!」
 そうくるとは思いつかなかったジュドーは、強かに打ち付けた腰を涙目で擦った。一方、カミーユの目は謝罪どころか、冷ややかにベッドから転げ落ちた彼を睨んでいた。
「…るさい。遅いんだよ、おまえ」
「早く帰ったら、怒るくせに!」
「今日は別。」
「横暴!」
「なんとでも」
「……む、むぅ」
「治療費は、あの人からもらった『運び賃』から引けよ。」
「なんだよ、それ。あれって、殴られ代込みなわけ?…ていうか、アンタが支払ったんじゃないだろ!というか、アンタ、医者だろ?!」
「土日は休診です。」
「…………医者としてそれでいいのか、カミーユさん………て。え、え、わわっ!また布団に戻らないのー!起きるんだって!」
「嫌だ。…今日は俺、一日中寝て過ごす。」
 剥ぎ取られまいと必死で布団を掴むカミーユの駄々に、ジュドーは妹の幼少期を思い出して、溜息が零れた。
「オレ、アンタを起こしに来たんだよ、殴られに来たんじゃないっての!」
「…………そもそも、なんでジュドーが来るんだよ?」
「シャアに頼まれたから。」
「…………なんで?」
「飯だよ、飯。」
 この時点で、ジュドーは彼が今だ寝ぼけ続けていることに気がついた。なるほど、布団に潜り直し、唯一接触してくる首もうつらうつらと舟をこいでいる。ジュドーは布団を諦め、まどろむ寝汚さを感心するようにその頭を撫でた。カミーユは気持ちよさそうな猫のように目を細め、寝返りをうった。そんな姿を愛でつつジュドーは(この人をあいつがどうやって起こしているか)と興味を抱いた。…むろん、その逆も知りたいものだが。
「ジュドー…うっとおしい…」
 カミーユは頭を撫でる手を払いのけ、大きくひとつ伸びをした。過剰なジュドーのコミュニケーションに眠気も薄れていったようだ。ベッドから起きあがる彼のしなやかな猫の動作に目を奪われるも、相手は男である。あくびも大きければ、頭をボリボリと掻く仕草も豪快なカミーユに、ジュドーはそっと視線を外した。乙女心かくいうなかれ、男心だって複雑なのだ。
「…じゃあ、風呂浴びた後、下りるから。先に飯、食っといて。」
(オレとあの人の、二人っきりで飯食うのかよ?!)
 帰宅早々自分へ銃口突きつけた御仁の同席する昼食は、なんと味気ないものだろうなどと…筋道立てて考える人間ではないジュドーは、ただ(気まずい飯になりそ…)と本能的に嫌な顔をした。
「なに嫌な顔してるんだ、ジュドー?あの人の飯、けっこうウマイよ。」
 そうなのか、と違和感を抱えつつもジュドーは普通に納得した。普段の食事はジュドーとカミーユのいずれかが担っていたが、よく考えてみれば、ジュドーが転がり込んでくる前は二人だけで住んでいたのだ。カミーユは多忙な身であるし、あの赤い彗星にだって厨房に立つ機会はあったのだろう…似合わないけれど。
「い、いや、…そうじゃなく…なんか、あの人苦手だなぁって…」
 ハハハと力なく笑って背を掻く彼に、「安心しろよ、俺もそうだから」とカミーユは同意し、シーツを剥いだ。
「時々、あの人が怖く見える。」
 見ろよ、と促されて走らせた視線の先にある、剥き出しの足には無数の…。
「な。」
「………な、…とか言われてもさぁ…」
(なんというか、やっぱ、ケダモノだよ。あの男。色んな意味で。)
 雪面に牡丹咲く叙情が脳裏に浮かぶ。実際に目にしたわけではない状景を思い描き現実を逃避した彼は、口鼻を掌で覆い隠して熱い溜息を吐いた。

 それから数分して、ようやくカミーユは起き出した。
「じゃあ、先に降りていて。」
 バタンとドアを閉じた音に、「ああ、ちゃんと起きたな」とジュドーは安心して階段を降りようとした。だが、釘を刺しておかねば…と振り向いた目が点となる。
「オレが消えてから寝なおすんじゃないよ…って、わ、わ〜ッ?!」
「なんだぁ?」
 首を傾げるカミーユの前を飛ぶように部屋へ駆け込むと、ジュドーは椅子に掛けてあったガウンを引っ掴んだ。それを目をつぶって彼に差し出す。
「風呂に入る前から裸になることないでしょ!!」
「いや、俺、さっきから裸なんだけど…」
「ガサツにもほどがあります!」
 確かにそうだ。ジュドーの言う通り、ベッドから抜け出した裸身のままで廊下を歩いてシャワールームへ行くことは、共同生活上のマナー違反だ。しかし、頭ごなしに怒鳴られてムッとしたカミーユは、チロリと己の影を一瞥し、肩をすくめただけであった。
「男同士なんだからいいだろう?それに自分の家だぜ?」
「盗聴とか、盗撮なんかされてたらどうするんですか!!」
 …ジュドーの論点は、社会的に少しズレていた。
「そういう装置は察知するよ。」
 ココで、とカミーユは己の頭を指差し、ニュータイプ能力の賜物だなと平然と呟いた。本当だろうか、ジュドーは脳裏にイーノ・アッバーブの部屋の光景を思い描いた。アレらも軍の機器と分かっているが、そういう破廉恥な写真を撮る男だと友を疑いたくもない。しかし、被写体が被写体だけに信用ならなかった。
「…というか、男の裸見て愉しむ奴なんて、いるのか?」
「シャ…」
 と言いかけて、ジュドーは首を振った。問題はそこではない、のだ。
「それでもダメ!ダメッたらダメ!アンタ、セクシーだもんッ!」
 カミーユは呆れたように吹き出した。
「セクシーなんて言われたの、おまえが始めてだよ。」
「だーかーらー!裸でうろちょろするのはヤメ!」
「うわッ!」
 ジュドーは持っていたガウンごと、カミーユに飛び付き、その裸体を全身で覆い隠した。
「…………そんなカッコでいたら、理性きかないよ。…オレ、襲っちゃうよ?」
 小さくうめいたそれを彼は聞き逃さなかった。捕まった両腕の中で、カミーユの肩がストンと落ちる。大きく息を吐いて、彼は困ったようにジュドーを見上げた。
「…なんだ?酔狂だなぁ、おまえ、まだ俺なんか抱きたいのかよ?」
「なんか…って、じゃあ、シャアって奴も酔狂なの?」
「大尉は別。」
「……あ、そう。」
 その一言に千の惚気を受けとめて、ジュドーは空しく遠い彼方をみやった。
 コツンと肩口を手の甲で叩かれ、ジュドーは束縛を緩めた。あっさりと手放したカミーユの体を恨めし気に見つめながら、暴れもしなければ危機感さえ抱いてくれない信頼関係も、時には痛いものだとジュドーは深く思った。
(カミーユの警戒線って、シャア専用なのかよ)
「…あ、やべ、『大尉』てまた言っちゃったよ、俺。」
 このこと秘密な、ジュドー。…と、口元を掌で押さえた彼は、不思議な気持ちで相手を見上げた。見慣れたジュドーの顔が少しいびつだ。それは、彼の顔全体が若干赤らんでいるのに対し、首から顎にかけてが青い痣のように腫れているせいだとに気づき、カミーユは目をすがめた。医者としての本能である。
「ちょっと診せてみろ。」
「あでッ!」
 …しかし、『医者の本能』は、患者をやさしく扱うことには慣れていないらしい。
「うっわ…見事に顎骨との間にはまったらしいな。鬱血してるぞ。」
「…殴った本人が感心しないでよ。」
「だから、謝っているだろ?」
「…どこらへんが」
「あぁ…わかった、わかったから!そんな恨めしげに見るなよ、後でちゃんと診てやるから!」
 だから今は冷やしておけ、とカミーユは棚から取り出したタオルを彼へ投げ付けた。その行動に、(そういや、出掛けもこんなことやってたな)と両者がふと思い返したことは互いに気づいてなかった。

「じゃあ、先に降りていて。」
 バタンとドアを閉じて、ジュドーを振りかえったカミーユはタオルで顎を押さえる彼に、鈍い近視感を覚えた。そういえば、さきほど振りかえったのはジュドーだったなと思いつつ、彼はガウンの襟元をきつく整えた。実のところ、朱色のこれはシャアの持ち物なので、すぐにでも脱ぎたいのだ。…彼の匂いが強すぎる。数時間前の情事を思い出させる代物を着せかけるなんて、と、カミーユはジュドーを少し恨めしく思った。これなら裸の方がましだと彼が思っているなどとは、ジュドーは気づいてやいない。
「ああ、チャーハン作って待ってるってよ、赤い新妻が。」
 ピタリとカミーユの足が止まった。
「……やっぱ、今、診る。」
「へ?」
 グルリとカミーユの体が反転する。滑らかに泳ぐ髪は洗いたてのように見えた。
「口を開けろ、ジュドー。」
 そう言うなり、カミーユの手がガッシリとジュドーの頭を捕らえた。
 ジュドーは内心(もう風呂入ってるんじゃないの?)と情後の匂いを漂わせない彼の体の線をチラリと一瞥して、あっさりと口を開いた。親切とわがまま紙一重の彼に対抗して、また傷を負うのは勘弁したかったからだ。
「大尉が作るなら、たぶん熱いスープもあると思うから……」
(ああ、今回は『親切心』からだったんだ。)
 そろりと舌に乗った指を不埒に味わいながら、ジュドーは(ホント、以心伝心って感じだなぁ…アンタたち)とシャアから聞いたメニューを反復した。
「明日が日曜でよかったな。一晩は…いや、二晩は腫れるかもな。」
「あぁひょうれふか」
 プッとカミーユが吹き出した。「ヘンな奴」と笑いながら、またジュドーの口内を触診する。舌と顎を指で押さえられて、ロクに返事もかえせないジュドーは、真近でカミーユの吐き出す息を喉奥で飲みこんだ。舌をそっと押さえる彼の指を絡み舐めたいなぁ…などと不埒でラフな欲を引き出すほど、その空気は甘かった。
「歯茎も…奥歯も大丈夫っと。口内も噛んでないな…」
「ねれ、ひゃひゅひれ」
「あ?」
「ひゃふ」
「『ひゃっほー』か?」
「ひ…がうっての!!キスしてくれって言ったの、オレは!」
 叫んだ勢いで、口から指がすっぽ抜けた。そのまま勢いで続けたジュドーは、顎がジンジンと痛むのもかまわず声を荒げ、カミーユの目を丸くさせた。
「なんで、俺がおまえにキスするんだ?」
「だってさ!……あ、あぁっと……」
 運が良かったか、勢い負けしてか、修正パンチを忘れたカミーユの呟きにジュドーは毒気を抜かれて、我に返った。けれども、覆水は盆に帰らず。
「あ、あーアレ、うん、アレなんよ。癒しのキス。」
「はぁ?」
(あああああ!オレ、何言ってんだぁ?!!)
 ジュドーの理性は今、床でのたうちまわっている。しかし、数々の色香にやられた口は本能の叫びを綴る。
「…おまえ、大丈夫かよ?」
「いや、だってさ、よく言うじゃんか、勝利のキスってやつ!それに、『痛いの、痛いの、飛んでけ〜』って唄の最後にチュッとするじゃん!」
 ああ、あれねとカミーユは顎に手をやり、深く頷いた。しかし、キスはもとより、「その図体して、おまえは子供かぁ?」と逆に冷ややかな眼差しを贈られる始末だ。ジュドーの脳味噌は、既に捩じ切れそうに羞恥に染まっている。
 カミーユの呆れた溜息がまた聞こえた。
「ジュドー、おまえね…」
「うわわわわ!いいです!もう、いいから!さっきのはナシ!」
「おまえな、」
「ナシ、ナシ!さっきのは取り消しますってば!」
「………黙れッ、ジュドー・アーシタ!」
「はいィッ!」
 ブライト・ノア譲りのカミナリに撃たれて、直立不動で立ちすくむジュドーは、その剣幕に思わず目をつぶってしまった。母親に叱られっぱなしだった子供時代のトラウマだ。二十を過ぎても体が覚えている体験に、カッコ悪いものだとジュドーは恥ずかしさに唇を噛んだ。それに引っ張られて、顎も痛い。
「こら、唇を噛むなよ…」
(え…)
 暗闇の中、やさしく響いた声の居所を探す暇も与えられないまま、ジュドーの額にふわりと柔らかな肌の温もりが触れた。
「え…」
 意外な感触に目を開ければ、カミーユの白い喉元がアップで迫っていた。ギョッとしたジュドーがまた目を閉じると、すれ違うように額の温もりは去っていった。
「今の…なに…?」
 己の額を掌で確認しつつ、ジュドーは視線を上げると、カミーユは明後日の方向を向いていた。やや耳が赤い。そっけなく、彼は言った。
「言っただろう、痛いの飛んでけってやつを、おまえ…」
「うわ…う、うれし……んだけど、こっちはダメなのかな?」
「こっち?」
「うん、こっち。」
「…調子にのるな、ジュドー!」
 そっと突き出したジュドーの唇が触れたものは、いつもながらの鉄拳であった。

「だからさぁ…どうして、男同士でキスしたいんだよ、ジュドー?」
「オレは男とじゃなくて、カミーユとキスしたいんだって…」
 私室で撃沈、廊下でも撃沈されたジュドーを幾分哀れに思い、しゃがみこんで様子を覗っていたカミーユは、その一言を聞いて、スッと立ち上がった。
「ああ、それ無理。」
 声に抑揚がなかった。
「なんでぇッ?!」
「なんで…って、俺はしたいと思っていないし、大尉が怒るだろう、普通。」
 普通なのか、それがカミーユの頭の中では。
「じゃ、じゃあ、シャアに知られなきゃいいってことなの?!」
 論点を摩り替えてで食い下がるジュドーへ、「そんなことは言ってない」と彼は目の前に迫る鼻面を再び押し戻した。
「したいと思ってないと言ったろう?!第一、それは無理だな。俺のこと、筒抜けみたいだから。」
 これもニュータイプ能力の弊害というものかな?…フッと上目使いで卑屈に笑う彼は、ジュドーの中で誰かを連想させた。彼の言いぐさにカチンときて、ジュドーはつい怒鳴ってしまった。
「んなの、カンでわかるっての!ニュータイプとかそんなの関係ないよ!長年の付き合いってヤツでわかるでしょ!」
 と、言ってしまってから、ジュドーはヤバイと墓穴を掘ったことに気づいた。これでは…なんというか……認めたくないが、認めてしまったってことになるのか?
 しかし、ジュドーの焦りに気づきもせず、カミーユはガウンの袖を握り、楽しげに言葉を返す。
「…そうだな。バレたら、俺も怒られるが、おまえは殺されるな。」
「な、なんだよ、その差?!」
「惚れた欲目ってやつだよ、坊や。」
 左の人差し指で鼻頭をスルリと滑らす。カミーユの仕草は、シャアのキザさを誇張させていた。それを目の前で見させられたジュドーは脱力して、廊下へへたりこんでしまった。
「え、えッ?!そんなに似ていなかったか?!」
「……い、いいや、…そうじゃなくてさ………」
「ジュ、ジュドー?!」
(アンタ…カミーユ、そういうキャラじゃないだろう…っていうか、力が抜ける。)
 なんだろう、これ。散々聞かされてきた惚気の中で一番凶悪だよ、これ。アンタらがいちゃついているのは分かりきっているんだからさ。
(もうちょっと、自分の身を守りなよ…カミーユさん。)
 ジュドーは、脱力した膝に手を当て、床に毒ついた。
(寝姿とか、すっぽんぽんとか、オデコにチュウとかさ…アンタ、無防備すぎというか、無謀すぎる。)
 オレ、アンタに惚れていたんだよ。一回、いっしょに寝たんだよ。
(ねぇ。フラレたからって、「ハイソウデスカ」と記憶消せないんだ。)
 しかし、あのカミーユならば、記憶をサッサと倉庫行きにする淡白さを持っているかもしれないな…とジュドーは悲しく思いもしたが。
(諦めたつもりなのに、アンタ、オレに期待もたせすぎるよ。)
 くだを巻く自分の幼稚さに腹も立つが、ジュドーは玄関で見たあの目に同情した。いらぬ嫉妬に手を焼くシャアの視線に、心から同情した。
(ホント、この人がこの調子じゃあなぁ…)
 見上げれば、困ったように様子を覗うカミーユの視線と当る。雨に濡れた子犬のように途方に暮れた瞳に、ジュドーの心は降参の旗を揚げ、話の矛先を摩り替えた。
「顎が、ちょっとね…。」
「あ、ごめん…殴ったのは悪かったよ。」
 ちょっと前から虫の居所が悪かって…と口篭もるカミーユの頬が赤い。その朱色に、ジュドーは『居所の先』が読めた。と、同時に(奴に同情はいらねぇ!)腹に据えかねる怒りを拳に隠した。
 もし、ジュドーが殴られることを予知して、カミーユの元へ差し向けたとしたら…と推察し…実際、高確率な話だと考え改めて、その姑息さ故に勝てない己を心底ジュドーは呪った。
(今度の食事当番、一味とうがらし買ってこなきゃな…)
 しかし、カミーユの不器用な優しさを知る彼は、掌をヒラヒラと振って「たいしたことないさ」と苦笑いで、相手の落ち込みを牽制した。これ以上このネタでつつくと、カミーユは更にキレルか、より深くどん底に落ち込むか…の究極最悪な二択になりかねない。
「いいよ、別に気にしなくても。これで、あいこだからさ。」
「あいこって?」
 記憶にないとばかりにかくん、と小首を傾げたカミーユへ(かわいいなぁ…)と伸ばしかけた鼻を押さえ、ジュドーは「昔のことだけど」と答えた。
(だから、オレ、あんたを諦めきれないんだよな…。)
「月での事だよ。前に、木星にいたオレと月にいるカミーユさんとシャアと三人で話したろ?」
「ああ、あれか。」
「あん時、オレ、卑怯だったよ。カァッとしちゃってて、シャアの奴を殴ろうとしたつもりが…間違ってアンタを殴っちゃって…あの後、すごく後悔したんだ。」
「…え?」
 目をぱちくりと瞬きくりかえす姿も(かわいいなぁ…)と脳裏で萌えつつ、昔の反省もしつつ…けれども、ジュドーは相手の『年上好み』な性癖を心底呪った。階下から上がる飯時の声を拾い聞いたカミーユの目が、ぱぁっと輝いたからだ。少なくとも、飯で、ではないらしいことが、男に嫉妬を覚えさせる。
「…あ、ああ、あれね。なんでもないよ、事故だよ、事故。」
 今行きます〜と声掛けても下に届くわけないのに、それでもカミーユは大声をあげた。そして彼は、立ちつくすジュドーに気づいて、照れた風に掌を振った。
「本当になんでもない事故なんだ。大尉庇おうとして飛び出した時にさ、俺、床の通信ケーブルに足ひっかけたんだ。」








 頭から、血の気が引いた。


「つ、…ケ、ケーブルって……」
「うん、そう。」
 恥ずかしいな、と頬を染めた彼は「こんなこと、さっさと忘れろよな」と釘を刺すことも忘れず、ジュドーの胸板を軽く小突いて階段を降りていった。
 雨は止んだようだ。午後の風が窓を揺らし、まだ窓が開放されてない廊下の影で、ジュドーはグラリと体を傾げていった。

 オレって、なんな……ふつふつと沸きあがる理不尽は、続きを胸に浮かべる前に、己のプライドが遮った。ジンジンと顎が痛む。不幸の味がした。


 その日の夕方、彼は、人生初の家出を決行した。
 …がしかし。それは返って「奴を喜ばすだけだ」と気づき、とって引き帰そうとしたのは、翌日の朝。日曜であることが災いした。
 残った二人はビデオ観賞に没頭していて、ジュドーの家出に気づいてなかったらしい。彼の告白で気づき、舌を打ったのは元軍人だった。
 果たして、不幸だったのは、どちらの男か、双方か。


-End-


『ペイ・ペーソス・スコール』
2002/08/11-10/25 5:07:35 終筆
サンライズ禁
BGM1:Nothing really matters/MADONNA
BGM2:Under the moon/Do As Infinity
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