Forbidden love |
うつら、とした額を何かがくすぐった。 「夢」とは、人間の生体機能の一部だ。過去体験した記録、もしくは手に入れたデータをリプレイして無意識の内に検証し、必要不必要を無意識のふるいに掛けていき、思い出というサーバーへデータ保存する「精神行為」だ。選択に作為が起こらぬよう、又、脳が活発化しすぎて他の生命機能に負担を掛けないよう、生命体が休眠活動時のみ稼動するプログラムが、「夢」である。 ティエリア単体では、そのような膨大なメモリ消費活動はできない。記録データのソート、解析した後に保存領域の振り分け、不必要なメモリーの消去、デフラグ…それら全ては、ヴェーダ無くしてはできない膨大な作業だ。 そもそも、彼に記録データの順位付けをする観念がなかった。そのデータが削除対象か否かまでは区別が付けても、『プレミア』などの物の位置付け、ランキングができなかった。…できないように、彼は調整されていた。 ガンダムナドレの付随機能『裁判(トライアル)システム』執行者の資質ゆえに、彼は「特別」をみつけることを禁じられていた。 ヴェーダとのリンクが切れたからといって、初期仕様が変わるわけではない。むしろ、ティエリアが蓄積した記憶のバックアップを担っていたヴェーダと繋がれなくなったことで、彼の負荷率は急激に増した。 彼の頭の中の記録媒体は、限界値がある。記録するデータ量に限りがあるということは、いずれ、記録するために何かを消すしかないということだ。ヒトのように、忘れたつもりがうっかり思い出せたなどという奇跡の御技は、生体端末に起こるはずはない。『データがあるか、ないか』それが全てだ。 トレミーのシステム領域では不十分であったし、私事でそこを侵すことはできなかった。そして、消せば取り戻せないものを、あっさり消せるはずがなかった。 ヴェーダの裁定を逃れたティエリアにとって、どの記録も消すことなど考えられようもなかったのだ。 その事を、イアン・ヴァスティは気付いていたのだろうか。 大破したデュナメスの前で、彼は頑なにティエリアの欲求を拒んだ。デュナメスに搭載されたハロには彼の戦闘記録が残っている。コクピットでのヴォイスデータも、彼が単身無謀に対峙した仇のMSの手掛かりもそこにあるのだ。 ティエリアが是が非でも手にしたい情報を、イアンは拒否し、コンテナから無理矢理追い出された隙をついて、ハロは隠された。激情に任せてイアンを罵ることを、ハロを探すことを、ティエリアはその時点では我慢した。敵の第二波がいつ来るやも知れない緊急時に、私情を絡ませることは彼の中の冷徹さが許さなかった。ロックオンを見習えと何度も己へ言い聞かせ、ナドレの整備へ逃げようとした。 しかし、エクシアを格納して最後にここへやってきた刹那の姿を見るなり、堪えきれない悲しみは胸を喘がせ、ティエリアの哀激は爆発した。 「貴様が地上に降りたばかりに、戦力が分断された!」 言った内容に問題はない。戦略的致命点を取り上げただけだ。だが、状況と詰め寄った人物があまりに稚拙過ぎた。ティエリア自身、これではただの八つ当たりだと理解していたが、感傷が理性に追いついてこれなかった。 しかし、誰よりも激しく感情を露わにしたのがティエリアならば、刻々と悪くなる戦況にすぐさま我に返ったのも、彼だった。恐らく一時撤退を考えているだろう、スメラギへマイスターの総意を伝え、喝を入れた。 「…ガンダムデュナメス……」 搭乗するマイスターのいない機体は修理する価値もないのかと、自嘲してティエリアはモスグリーン色の外装甲を撫でる。ビーム攻撃と鋭い刃状武器のものであろう、深く抉れた直線が何十本とデュナメスについていた。脚部と腕部が剥ぎ取られ、残った胸部も右側の損傷が激しい。その傷へ何度もティエリアは手を当て、擦った。 「僕の、せいか…すまない、デュナメス」 パイロットスーツ越しに擦ったところで、ましてや機械相手に温もりなど伝わらぬ。それでも、己の愛機へ施すように、ティエリアは傷ついたデュナメスの外装を撫でた。ヴァーチェへ突き刺さるはずだったビームサーベルを身代わりで受け止めた装甲の痛々しい痕を見ていられず、顔を逸らした先に「……ッ!」…開いたままのハッチがティエリアの視線を釘付けにした。 「………」 衝動に駈られて左足を強く蹴った。悪魔に誘われるように、ティエリアの体はコクピットへ吸い込まれていった。シートのヘッドレストへ手を掛け、クルリと体を反転させた彼は自らとひと回りも大きさが異なる搭乗席に背を滑らせた。ヌルリ、と足元に纏わり付く不快なぬめりに怖気立つも、それが断線した回路が溶けた跡と分かり、ホッと息を漏らす。 背後でGNドライブが静かに稼動している。ティエリアがざっと見た限り、酷い外装部と打って変わり内部の計器類は生きているようだ。ハロのナビだけで無事に帰艦できた事は運が良かったとしか言いようがない。人工知能のハロには生体への殺傷攻撃プログラムは認められていない。デュナメスの武器の殆どが破壊されていたとはいえ、ハロしか搭乗してない当時、攻撃手段を一切断たれたに等しかった。 「あなたも…戻れば、よかった…んだ…」 下手を打てば、国連軍にデュナメスの太陽炉を奪われ、スローネの二の舞になるところだったのだ。誰よりも長くハロを傍にいさせた彼がそれを知らないわけがない。だからこそ、解かる。いや、判っていた。『ガンダムマイスターのティエリア・アーデ』の知略が彼の無謀さを、私怨に取りかねない単独行動を「それでこそ」と讃えていた。 ミス・スメラギよりも先の戦局を読んでいたからこそ、出で、その為に死に、その犠牲の上で己達とソレスタルビーイングの命が存えた。あの場で誰かが追撃の足を止めなければ、宇宙へ戻るエクシアの帰艦先は消滅していただろう。 「……ッ!反吐が出る…ッ、」 振り上げた拳を膝へ打ち立てる。マイスターの知性へ、ティエリアの感情が異議を唱える。ティエリア・アーデの本質が不可解だと首を横に振る。他者の為に自らの命を投げ打つ行動に意義を見出すことは不可だと、彼の中の組織が明確な回答を拒否する。彼の辞書に『自己犠牲』の語句は登録されていたが、それが意味深いものだと理解することは叶わなかった。 「解からない、分からない、判らない!」 あれもプランの一つだと割り切り提示するティエリアがいる。一方で、プランの捨て駒にロックオン・ストラトスの名が付くだけで錯乱するティエリアもいる。死を恐れるのがヒトの宿業なのに、己よりも他者の生命を優先する人間の精神構造に恐慌するティエリアもいた。 「何故にこうも人間は身勝手でっ、不完全でっ、…脆いんだ!」 叫べば、叫ぶほどにティエリアの胸が熱くなる。滲む視界の果てに、ポタリと涙が粒となりヘルメットの中で浮かんでいく。情動に喘ぐ。息苦しさに耐えかね、思わずバイザーの開閉スイッチに手をやったティエリアの耳に金属の摩擦音が響く。驚いて顔を上げた彼の目前が、突然真っ暗になった。 「な、に…?」 コクピットを閉めた覚えも、間違えて計器に触れた感触も彼になかった。しかし、ティエリアは不意打ちでデュナメスのコクピットに閉じ込められたのだ。暗闇の中、コクピット内の記憶を辿り、装置を避けて両腕を前方へ差し出す。まるで宇宙に置き去りにされたような孤独感に苛まれそうになったところで、指先が固い壁を見つけた。鮫肌に似た壁面のスライドを感じ、コクピットハッチとは違うとティエリアは思った。 「緊急用の、セーフティシャッター?」 外装甲が被弾した場合やハッチに異常があった場合にパイロットを守る為に降りる非常用の遮断装置が何故この時期に作動したのか、ティエリアは皆目検討がつかなかった。 「誰かの悪戯か…?」 そんなはずはない。このトレミーが今おかれている状況下で、こんな下らない悪戯を仕掛けるクルーは皆無なはずだ。仕掛けるモビルスーツが亡きマイスターの形見ならば、なおさらだ。 「…くッ、とにかく、これを解除せねば…!」 見えない中、ヴァーチェのコクピットを思い出しながら、ティエリアは触れるべからずと思っていた操作パネルへ指を向けた。ナドレと違い思考制御型でないノーマルタイプの計器は不慣れだが、やってやれないことはないと彼はデュナメスのテスト運転をしていた時期の記憶を引き出そうとした。と、途端に、辺り一面が眩しくなる。不意打ちを打たれた彼が閉じた瞼の痛みに堪えているなか、聴覚がコクピットへ漏れ出す気体の音を捉えた。 「なんだ、…これは……空気…?」 再びどうしてと疑念に囚われる。突然の明かりに目が慣れた頃、ティエリアは己の指先が操作パネルから全く見当違いの方へ伸ばされていたことに気づき、唇を震わせた。スイッチの入ったモニターにコンテナ内の人影は見当たらなかった。コンテナ上部の制御室は消灯されている。 彼が思い当たるのは、ひとつしかなかった。 「デュナメ、ス…君か、君の仕業か。どうして、」 他の人間ならば「馬鹿な」と思っただろうに、ティエリアは一笑に付さなかった。 コクピット内の換気音が次第におさまっていく。空気が満ちていく証拠だ。刻々と無用の処置がなされていく様をティエリアは瞬きせずに見守っていた。やがて、機内は静かになっていき、ただ彼一人の呼吸音だけが全てとなった。 「…デュナメス……いいのか、…デュナ……」 是非に怯える子供のようにティエリアは呻いた。デュナメスが己のマイスターを失った要因に己は立っていることを、彼は承知していた。 コクピット内に空気は満ちた。ヘルメットのバイザーを上げても、ティエリアが窒息することもない。…デュナメスがセーフティシャッターを上げない限りは。 「……」 束の間戸惑ったものの、ティエリアは己の欲望に逆らえず、ヘルメットを自ら脱いだ。のみならず、パイロットスーツの前を肌蹴て、素手を晒した。そのままぶつかるように、背後の搭乗席を抱きしめる。 「……ックオ…ロックオ…!」 冷たい感触しか伝わらない。だが彼がそこに居た事実を肌で知りたかった。ティエリアは衝動のままに声を上げた。苦しげな嗚咽が反響する。コクピットに漂う涙が周囲の計器にぶつかり、無数の粒となって再び漂う。明かりに照らされ、星屑の光のごとく輝くも、消滅する運命はそれにはない。ただひたすらに細かく細かく割かれて、見苦しく辺りを漂うだけだ。 「なぜ、貴方は…!…ごめ、……ごめんなさ…くッ、カハ…ッ、」 涙と情動に咳きこむティエリアの背を柔らかく撫でる手はない。聞き苦しい音が木霊するコクピットに、緑と青のライトがほのかに淡いリズムで点滅するだけだ。シャッターは上がらない。モニターはいつの間にか切れており、ティエリアの周囲は宇宙のように暗かった。計器の明かりは最小に絞られていて、まるで、小さな星々がそこかしこに浮かびあがったようだった。 (まるで、プラネタリウムだ…) 愚図りを宥めるような優しい人工の星に目を細め、ティエリアはかつて自分が怒ったロックオンの一人遊びを思い出した。下らない遊びのプログラムはまだデュナメスの中で残っていたらしい。 「…………ありがとう、」 ここへやってきた時から、デュナメスは責めるどころか、自らのマイスターと等しくティエリアを優しく迎えてくれていたのだ。 瞬きする度に、ティエリアの周りに悲しい星が生まれる。ここから出たらもう泣くまい、尽きない苦しみの井戸に蓋をする決意を込めて、ティエリアは大好きな人がいた場所へ縋り、唇を押し当てた。 ◆ ハロを抱えた青いパイロットスーツがコンテナへ入ってきたところをモニターで補足した瞬間、ティエリアは普段の冷静さを己が取り戻していた事に安堵した。優しいデュナメスに、愚行を再び見せたくはなかった。セーフティシャッターが下りていることを不審に思ったのだろう、首を傾げて彼がハッチ際に足をつけたところで、ティエリアは操作パネルに指を伸ばした。デュナメスは黙っていた。 「…刹那・F・セイエイ」 「…!ティエリア・アーデ」 中にティエリアがいることを想定していなかったのだろう、固い眼差しが幼く見開く様は正しく「うろたえています」だった。めったにない表情に、ティエリアの胸がすく。 彼もまたロックオンへ言いたいことがあるのだろうと、ティエリアは操縦席から立ち上がった。コックピットに充満した空気は、真空のコンテナへと流れ去る。ティエリアの仕草を追うように、半透明の粒がハッチの外へフワフワと飛んでいく。 「……」 刹那の目がそれを追った。何か問いたいのだろうとティエリアは検討ついたが、誰にも追及されたくない私事だと、彼の視線を振り払った。青と紫のパイロットスーツがハッチの左右の縁で立ち止まる。すれ違いざま、刹那の抱えるハロを視界に捕らえ、顔が強張る。ティエリアは、これだけは彼に聞かねばならないと、自由にならない唇を無理矢理開いた。緊張のあまりにか、声は掠れていた。 「君は、デュナメスの戦闘データを見たか?」 「見た」 見た。完結された応えに、ティエリアの中で鎮火された筈の怒りが再び燃え上がる。 「彼と戦ったのは、どこの機体だ。AEUか、人革連か、ユニオンか…どれだッ?!」 「………」 無言で見つめ返す刹那は「知ってどうする、皆殺しでもするつもりか」とでも言いたそうだった。対ガンダム仕様のMS、GN-Xの胸部にはパイロットの所属軍章が簡略的色彩でマーキングされている。 「GN-Xの機体性能は重々承知だ。だが、僕は…何故、彼が…」 「…………ティエリア、」 刹那は、ただ一言「生きていれば、伝える」とだけ言い放ち、ハロを抱えたまま、デュナメスのハッチを蹴った。あのまま、エクシアのコンテナへ向かうつもりかと、ティエリアは眉間に皺を寄せた。 「ハロは置いていけ!それは、君のものじゃない!」 「アンタがいなくなったら、デュナメスへ返す」 これ見よがしな舌打ちにも動じず、刹那は離れていく。壁面に靴裏を張り合わせ、斜めに傾いだ体勢のまま、彼は思いついたようにティエリアへ振り返った。 「ティエリア、ナドレは…?」 「整備は9割方終わっている」 何か考えこむように、青いヘルメットが下を向いた。 「…ナドレのトライアルシステムは…まだ使えないのか?」 不意打ちの質問に、グッとティエリアは喉を詰まらせた。 「……ヴェーダとのリンクがなければ、あれは発動できない」 ナドレ単体での発動はシステム構築段階から頭に無かったに違いない。ナドレ暴走時に止める手段がなくなるからだ。 「そうか」 それ以上追及するつもりがないのか、刹那は壁面を蹴り、コンテナ上部のレストルームへ一目散に向かう。その背に、ティエリアはふと尋ねた。 「何故、それを訊ねる?」 「…鹵獲されたガンダムへ対抗できるかと考えた。敵のGN-Xにも」 「……そうそう、うまく事は進まない」 「…そうだな……忘れてくれ」 彼らしくないか細い声で「悪かった」と告げられ、ティエリアはハッと顔を上げた。しかし、彼に謝られる道理が掴めず、ティエリアは「不可解だ」と再びコクピットシートに蹲った。 定めたはずの心が再び揺らいでいる。思わぬ訪問者のせいだ。 体ひと回り大きいシートの窪みにフラフラと揺られて、ティエリアは右のコントロールスティックに縋った。少しでも、彼が触れたところに近づきたかった。天井部に設置されていたコントロールスコープは無い。ロックオンが取り外し、それを持ったままデュナメスから単身離脱した出来事だけをティエリアは知っているし、不可解に感じていた。その行動に付随する動機を知らない。 「結局、僕は理解できなかった…」 人間の本質を。ロックオンが教えてくれた、彼の言動から見定めていたヒトというものを理解することは叶わなかった。誰よりも近かった男の行動さえ、予測できなかったのだ。ハロから戦闘データを取り出せば、幾らか解析材料になるかと考えたが、徒労に終わるだろう。知ったところで、今さら遅い。ティエリアはロックオンを守りきれなかったのだから。 悲しかった。悲しくて、寂しくて、くやしくて歯がゆい。 感情の堂々巡りを幾許か繰り返して、ティエリアは最後に深く深く息を吐いた。窒息するほどまで深く、体中から酸素を追い出して一瞬ブラックアウトしかけた脳が慌てて呼吸を促してきた。 (今ここで死ねるか…そう、俺も弱くて、利己的で、身勝手な生物だ) 「……ナドレの整備に戻ります」 誰に聞かせるでもなく、一人呟き、ティエリアはシートから上体を起こした。離れがたい背中の感触を理性で振り払い、全面のコントロールパネルの隅々へ手を当てた。ゆったりと撫でる。 「今までロックオンを守ってくれて感謝する、デュナメス。プトレマイオスをどうか…頼む……」 ロックオンがハロを撫でる時の手つきは、これぐらいだったろうか。 一度出撃すれば、もうここには戻れないだろう。名残惜しかったが、敵は待ってくれやしない。最後に彼が座っていたシートを撫で、ティエリアは重い腰を上げた。レッド・ローズの眼差しは毅然と彼方の戦場を見つめていた。 「…デュナメス、ロックオン…貴方たちが助けた命、無駄には散らせません…!」 悲しみは尽きなくとも、彼の決意に揺らぎは消えた。 それを何者かが見て取ったのだろうか。デュナメスが、再びセーフティシャッターを閉めることはなかった。 - End / go to next [光芒2] - |
『光 芒』 2008/12/04(木) 23:24 終筆 サンライズ禁 BGM:光芒(B'z) *00 1st season 第24話のフェルトが手紙置く数分前までの ティエ側をリライト。単発ですが『光芒2』にも続く。 注: ティエリアさんが人外(生体端末)ネタ。頭の中に、 容量の低いHDDレコーダーがあるものと考えてください。 【Back】 |
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