シリウス・べガ・カンタータ

Written by Jun Izawa

 あれが、シャアのシリウス
 この私を砕くのか。


 未来を築こうとする男が浸るものは、人骨が化石と呼べそうなほど古代音楽家の作りし音の羅列。
 その頃の地球はさぞや美しかったのでしょうね、と、ナナイは胸に呟いた。胸に染みる歌声はかくも美しく、純粋なまでの嘆きと信心を彼女へ見せていた。謳いあげている。
 きれいなのは、信ずるものを疑わないからだ。
 そして、彼ら、彼女らの信じたものは、証をみせたのだろう。

(私も、証が見たい。)

 シャアのグラスへ、ナナイ・ミゲルはウィスキーを注いだ。

 二人きりで、宇宙を背に、バッハのカンタータを聴く。
 彼はソファへ座り、彼女は傍に立っていた。ナナイ・ミゲルはニュータイプ研究所所長という固い肩書きを持ちながら…まるで愛人のようにシャアへ従っていた、この部屋の中でのみ…。

 総帥が休む為にあつらえた豪奢な部屋、緋色のベルベットの檻の中で踊るように流れる教会音楽を、「カンタータですね」とナナイは話題をふり、「そうなのか?」とシャアは静かに流した。

「宗教は好かんが、音楽はすばらしいと思うよ。実に心和む…」

 そう言いながらも、深くソファへ背を預けたシャアの眉間にはかくも深い皺が刻まれていた。酒のせいではなく、苦い何かに耐える仕草を隠すように、彼は美しく整えられた髪を乱暴に掻き上げた。

 この曲は、彼がコロニーに潜伏していた時、たまたま耳についたフレーズがとても気に入って、データを取り寄せたらしい。

 かなり昔の話だ。
 ティターンズが破れ、ハマーンがアクシズ部隊をネオ・ジオンと改名してから、少し経った頃の話だ。

「どうにも、他人事には思えなくてね…。出会うのが遅すぎた曲だよ。これを聴きながら、私はしばしば後悔したものだ…本当に馬鹿な選択をしたものだと」

「だから…地球を凍らすのですね。過ちを止めるために」

 ナナイの問いにシャアは無言だった。返事のない答えに、彼女は、彼の言う『馬鹿な選択』が『エゥーゴにいたクワトロ・バジーナ』と思い、恥じているから無言なのかと、キスを贈るふりをして、シャアの顔色を伺った。彼は平然と、ナナイのキスを唇から逸らし、額の傷で受けとめた。

 ただ、彼は『私を繋ぎ留める錨は、しばしば私を喜ばせてくれる神の慈悲である』と詠う時の声が一番美しいと賞賛した。
 そんな彼へ、ナナイは「私は大佐の錨になりたいと思いますが…今は、船を前へ進ませるひと吹きの風になりたいですわ…」とねだるように、彼の背を撫でた。

「残念だな、ナナイ。
 …私には、錨も、神もないのさ。シリウスさえ私から流れた」

 シャアはやわらかにナナイを抱き締めると、やさしく「持ち場へ戻れ」と命令した。彼の掌で弄ばれたウィスキーは、すっかり氷が溶けている。


 その後、ナナイは、その部屋でカンタータを聴く機会を全く失った。


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 この世の私の人生の歩みは船旅に似ている。

 悲しみ、十字架、苦しみの波が、私をおそってきて、死をもって、私を日ごとにおびやかす。
 し
 そして、神は私に呼ばわる、
「われ汝とともにあり、われは汝を見捨てたり忘れたりしない」と。
 そして、怒り狂った嵐が終わりに至らば、私は船をおりて、わが都、すなわち天の王国に入らん。
 そこで、私は信仰深い者たちとともに、多くの苦難から逃れることができるだろう。


  J.S.バッハのカンタータ
  「我、喜びて十字架を背負わん」より。

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 時折、カンタータの調べは、ナナイが廊下を通る際、壁からかすかに漏れ聞こえるだけとなった。あれほど美しいと思った歌声も、無線の雑音よりも酷いものだと、彼女は唇を噛み締めた。
 彼を柔らかく抱擁しようとも、彼に奥深く貫かれようとも、彼はあの曲をしまいこんでしまった。気まぐれな彼がちらりと見せた手を自分が欲張ったからだと、ナナイは自覚していた。だが、承知していても、女として、辛い、痛みである。

 つまり、あれは彼、シャアだけの鎮魂歌であったのだと。

 彼女がそれを悟ったのは、隕石がひとつ流れた後。
 作戦の成功と総帥と部下らの帰還に安堵するよりも、ナナイ・ミゲルは馬鹿な誤解をしたものだと、過去の言葉を振りかえった。瑠璃色の傷病兵が艦へ、シャアの腕の中で誘われた姿を見、彼女の虚勢は音を立て、美しくも無残にひび割れたのだ。


-End-

[(イタリア) cantata]
一七、八世紀のバロック時代に発展した声楽曲の一形式。独唱・重唱・合唱と器楽伴奏より成り、歌詞の内容によって世俗カンタータと教会カンタータとに分かれる。交声曲。
-------「goo/国語辞典」より転載。--------・

『シリウス・べガ・カンタータ
2002/08/12 0:20:45 終筆
サンライズ禁
BGM:WAKE UP...AND DIE/John Tavener+チェロ奏:Yo-Yo Ma
SonyRecords[奇蹟のヴェール(SRCR2255)]より.
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