U.C.0088年 夏 どんなに落ちぶれたって、失ってはいけないものはある。 それが礼であったり、愛であったり、正義であったり…ひと様々と思う。 ファ・ユイリィは、親から教えられていた。 どんな時でも、自分と生きる誇りを失うなと。 増長した地球圏連邦政府軍のエリート集団ティターンズの圧政に苦しみつづけていた第7コロニー「グリーン・オアシス」にあって、虐げられていたスペースノイドの住民は、皆、ファの両親と同じ思いでいただろうに。 そして、ファは、その教えの元で苦しんでいた。 つまりは、今、落ちぶれている最中なのだ。 「…どうして悩まれるのですか?」 何度、この溜息を聞いただろうか…この嫌味な溜息をだ。 「どうしてって…だから、始めからお話ししているとおりです。私が決めることではありません。それは、カミーユが」 「だから、そのカミーユ・ビダンが心神耗弱に陥って、正常な判断が下せないから、彼の代理人たる貴方と交渉しているのでしょう!」 ダン、とテーブルを叩く。その高圧的な振るまいに、ビクリと肩を震わしつつも、ファは気丈に彼らを睨む。エゥーゴ時代に、軍人のやり方を嫌というほど味わった彼女だからこそ、モビルスーツ工場のお偉い方の脅しに屈しなかったのだ。 そして、脅しが効かないとなれば、次は甘い言葉と金が積まれていった。 「見ればわかります、お困りなんでしょう?」 確かに、困っているのは事実だ。 ファ達の故郷、サイド7『グリーン・オアシス』は前の戦いでズタズタになっており帰れず、グリプス戦役でシロッコを倒した際に精神を病んでしまった幼馴染のカミーユの治療と、彼を戦いの宇宙から遠ざけたい一心で、彼女は彼を連れてサイド1『シャングリラ』から地球へ降りた。その時点で、ファはアーガマ艦長ブライト大尉から渡されたカードを使い果たしてしまっていた。 連邦軍は民間人には冷たい。ことコロニー出身者ならば、尚更だ。 幸か不幸か、カミーユとファはエゥーゴでは正規パイロット登録されていたものの、グリプス戦役では反連邦だった組織のデータは連邦軍に組み込まれた時点で消去されてしまったらしく、生き残ったアーガマ・クルー達がみな連邦軍へ強制所属されたに対し、彼女らはただの民間人として第2の人生を歩むこととなった。…それでも、カミーユだけは名を変えざる負えなかったが。クワトロ・バジーナことシャア・アズナブルの右腕的役割を果たしたエゥーゴのエース・パイロット『Z乗りのカミーユ・ビダン』の、顔の見えぬ名前だけの噂が、連邦の中枢から末端のパイロットまで密かに流れていたのだった。 『グリプス戦役』と呼ばれるようになったあの日の戦いから数日を置かずして、今度は『ネオ・ジオン抗争』が始まった。今度もやはり、ソラ対地上の愛憎である。そんな戦いの最中に、ファ達スペース・ノイドが身分をそのままにして地球へ降りるのは愚の骨頂だと、シャトルを手配したウォン・リーは失笑した。 そして、こうも言ったのだ。 「馬鹿正直も嫌いではないな。愚者とは違う。身分を偽って逃げまわる…そんな姑息な手段を十代のガキが思いつくようじゃ、世の中が…大人たちがやりきれんよ。」 彼は、ファへ月から地球へのシャトル便のチケットを渡し、偽造IDを2枚授けてくれもした。 「このIDだが…実際にわが社のサーバに登録されてある。しかし、一週間のみだ。次のバックアップには、データは消去されているから、気をつけて使いなさい。『うちの社員がノイローゼを起こした。だから、地球へ帰ることにした』…そういう嘘話でも作っておくんだな。」 その時、彼女はウォンへ感謝を述べたが、今思うと、彼は鼻で笑い飛ばした気がした。 月面フォン・ブラウン市の空港へ送られた時も、彼はファには理解できない謎かけじみた言葉を随行のカミーユへ贈っていた。 「ホンコン・シティでの占いは、まだ終わっちゃいないのだろう?おまえの『嵐』はこれからが本番だ……目覚めた時に、おまえに幸運があるように、な。」 ポンポンと軽く頭を小突くように撫でたウォンの目は、ファの父親に似た優しさが見えた。精神が幼少退行しているカミーユも、それを感じているのか、珍しくむずかりはしなかった。これには、ファも少なからず驚いた。看護に手を焼き、疲れきっていた彼女は小さな嫉妬に、胸を痛めた。 (なによ、カミーユったら子供みたい!…まるで、大尉に誉められてる時みたいに嬉しそうにしちゃってさ。……まぁ、今は子供っぽいのだけれど…) ファは、前から…アーガマがまだサイド1へ辿り付く前から「地球行き」を艦長ブライトへ仄めかしていたが、その時には彼を頼るといいとブライトから紹介された者こそ、ウォン・リーだった。ファは、彼の素性をアナハイム・エレクトロニクス社の関係者であり、エゥーゴの出資者としか知らない。…あと、彼が『修正』と称してはカミーユを殴ったらしいことを、アポリー中尉からそれとなく聞いたこともあった。 (酷いリンチみたいだったって聞いてたから……もしかすると、カミーユがウォンさんを怖がるのじゃないかって心配していたけれど…杞憂に済んだみたいね。) 多からずも少なからずな縁が彼らの間に流れていることを、ファは遠い意識で感じながら、自身が知らないカミーユの思い出に苛立ちを芽生えさせてもいた。特に、ウォンが口走った『ホンコン・シティ』には……苦い棘の記憶がファにはある。 自分によく似た名前の女性が、命をかけてカミーユを守ったことは知っている。…感謝こそすれ、その懸命なる姿に薄暗い怒りを覚えてはならないと…ファは常に思っているが、いつだって成功した試しはない。 「おまえに勝利の羽根を遺すよ、カミーユ。 …ま、宝くじだと思ってくれればいい。」 ウォンは、カミーユの右手を取り、豆の潰れた掌を優しく慰撫した。 しかし、先ほどウォンのたった一言で産まれた負の己と対峙するファには、自分の心にかかりきりで、それを見過ごしてしまった。 彼が…ウォンが、物言わぬカミーユの胸ポケットに小さな紙片を忍ばせたことさえも。 気づいたのは、シャトルが成層圏へ近づいていた頃だったか。 あれだけ目を丸くした驚きさえも、もはや遠くへ薄れてしまったようだ。当時の記憶はあいまいで、地上での暮らしは過酷すぎて、ファはおぼろげにしか覚えていない。 しかと輪郭を残すものは記憶ではなく、物だ。 今こうして、ファがモビルスーツ開発者たちの執拗な拷問に耐えていられるのも、その掌で握る物たちがあるからだ。指に当たる固い感触が、ファに現実の重たさを実感させてくれ、気丈に振舞えと鼓舞してくれる。 そっと、彼らに見られないように、ファは掌を開いた。 とうに使えなくなったIDカードと、ウォンがカミーユへ渡した紙片。 ゴミと…まさに『宝くじ』なそれら。 手放せば、それこそ遊んで半生は過ごせるぐらいの金が舞い込んでくる代物だ。その代わり、手元に置いてもゴミでしかない。 少女の掌に入るほどちっぽけな形の代物に、やっきになって、月から使者が降りたってきた様を想像して、ファはまるでおとぎ話のようだとひっそり冷笑した。 (でもそれじゃあ、カミーユがお姫さまで、私が護衛の騎士じゃない…?) ならば、目の前に座る彼ら…アナハイム・エレクトロニクス社員たちは『悪の手先』なのかも…そう考え出した途端、ファは、喉からこみ上げてくる笑いに耐えきれず、涙を零した。 (悪?!ファ、ねぇ、すっごい冗談じゃない!) (あの、アナハイムが?ガンダムを造ったアナハイムが悪ですって!) ウォンの手引きで地上へ降りたことで、ファとカミーユの行動はアナハイムへ筒抜けであった。そこに、ウォンの思惑があったか窺い知れないが、彼のカミーユへ向けた優しさをファとしては信じたかった。 しかし、そのウォンがカミーユへ捧げた贈り物が因子となり、アナイハイムの手はたえずファを苦しめていた。脅しが効かないとなれば、次は甘い言葉と金が積まれていった。聞き飽きた今では、短調すぎる大人の手口に辟易すら覚えていた。 「見ればわかります、お困りなんでしょう?」 (そうよ、当たり前じゃない。私たちには近くに身寄りなんかいないんだから!) 「彼を治療するには高い入院費と長い時間が必要だ。その余裕をまだ成人もしていない女性が一人で稼ぐには無理があるでしょう?」 (無理なのはわかってるわよ!) 「我々、アナハイム・エレクトロニクスならば、彼の治療に協力できます。わが社の病院へ彼を入院させれば…」 お決まりの慰め言葉と共に…。 器の壊れたカミーユを優秀な病院へ入院させる。 それは、ファにとって願ってもない話だ。 しかし、その為に…ソレを手放すわけにはいかない。 ファとモビルスーツ研究所員たちの間に割り込む形で晒された、一通の契約書。…正式には、譲渡契約書なのだが。 ファは、それを突き返し、同じ言葉で彼らを拒んだ。 「何度仰られても、お断りします。」 「しかし…!」 「私の一存では決められないお話だと言っているんです。ゼータ…Z-GUNDAMはカミーユが決めることです!」 「それはわかっている!」 「我々としても、Zシリーズの増産、改良にはぜひとも彼の協力を仰ぎたいと思っている。しかし、今は、そのことを語っている場合ではない。我々が今欲しいのは、Zの可変モビルスーツ基礎設計の権利をカミーユ・ビダンがアナハイムへ譲渡するということだ!」 戦争は終わるはずだ。 傷だらけのカミーユが最後に見つけた希望、それを受け取った少年ジュドー・アーシタがネオ・ジオンを倒し、ハマーンの暴走をくいとめるはずなのだ。ファは、そうなることを頑なに信じている。 なのに、また『Z』を造るというのだ。 (あの子を、また、戦場へ出すというの?!) ファは、ひっそりと胸に涙をこぼした。 かつて、カミーユは愛機『Z』を我が子のように、丁寧に整備していた。物を慈しむような手触りに「MSマニア…」と呆れてもいたが、あれが造る者の、創造者の目だと感嘆してもいた。 なのに、彼らはどうだ。モビルスーツを造る事が生業だと、こうもなるのか。 モビルスーツを戦争の道具と思われても仕方がない。商品だから、愛着がなくとも当然と思う。 しかし、せめて、彼らに「人を殺す道具」を造っていることを理解してほしいと願うのは、ファの少女じみた傲慢なのだろうか? それからほどなくして、アナハイムの使者から逃げおおせたのは、まったくの偶然といってよかった。 地球へ降下したアーガマとの再会、口閉ざすカミーユと幼いニュータイプの少女との出会い……そして、再び起こったコロニー落とし。 ダブリンがコロニー落としの標的にされ、ファたちもその巻き添えになったとアナハイムは考えたのか、それ以降、彼らからの干渉は一方的に途絶えた。 悪夢の奇蹟で手に入れた平穏を、ファは病室に眠るカミーユと噛み締めながら、そっと掌を開いた。 黄ばんだ折り目にも断たれずある、一文。 『Zのカケラを君に。カミーユ・ビダンへ。』 文の末尾を縫いとめる、くすんだ血判。 ウォン・リーの流した血の意味を汲みきれず、ファは眉をしかめ、天井を仰いだ。 --------------◆ U.C.0092年 秋 くたびれた靴を脱ぎ捨て、ファ・ユィリィは薄闇の自室に灯りを点した。むくみにあえぐ脹脛を揉みながら、彼女は録画した今日のニュースを再生する。 朝から病院で働き、夜遅くに自宅へ帰るものだから、院外の日常をついつい離れがちになってしまうからと、彼女は夜のニュースを毎日録画しては観ているのだが……本当の理由は、彼女自身、わかってはいない。 ニュースのトップは、いつも変わらずテロの話題からだった。ファ達が住む地球へ、またもや宇宙コロニーの反乱が始まりつつあるということだった。 しかし、看護婦になり身近な死と危機とに直面する日々では、戦争という言葉も彼女には遠く聞こえるものだった。 「ホント…長時間立ち続ける看護婦の職業病ってのは、戦争よりやっかいかも。」 足のむくみに毒つく言葉さえも、彼女からエゥーゴの思い出が薄れていったことを仄めかしていたかもしれない。 けれども、彼女の平穏もそう長くは続かなかった。 U.C.0093年の寒空。 グラリと、大地が揺れた気がした。 「…うそ…ッ!」 何度も、何度も、巻き戻しては、たった46秒の残影を目で追う。間違えようもない。嘘と信じたくとも、あの姿はファへ鮮やかな悪夢を呼び起こす。 「ゼータ……?!」 緑…いや、蒼いガンダム型モビルスーツは、装甲が厚くなったとはいえ、昔の名残があり……ちらりとTV画面の端を走った白いガンダムよりも、ファへ戦列な印象を残した。 「そんなはずは…そんなはずはないのよ、だって、私はサインしなかったんだからァ!!」 (なのに、どうしておまえはソラにいるの?) ファの指がビデオ・リモコンのボタンをまた押す。グルグルと巻き戻る戦闘シーン。一から語り始めるニュースキャスター。 そうではない。ファが望んでいるものはそうではなく、そして、できない相談だった……時間は戻りはしない。 「………カミーユ、な、の……?」 たぶん、予感はあったのだ。 いつからか、患者が軍服を羽織ることが多くなった。 いつ、その習慣が始まったか、必ず録画して見る夜のニュース。 終わっているニュース。決まってしまった未来と過去。 ふと、画面を凝視して、ファは一つの単語を見つける。 [RGZ-91:Re-GZ] 「リファイン…G…ガ、ガンダム…Z…ゼータ。 …リファイン・ガンダム・ゼータ!!」 読み解いた白字のテロップの奥で、蒼いZは加速していく。ニュースキャスターは、連邦軍モビルスーツのそれを「リ・ガズィ」と呼んだ。おそらく、アナハイム側の呼称であろう。しかし、ファにとっては「Z」なのだ。 あの日。 カミーユが壊れて狂った宇宙<ソラ>の攻防が止んだ、あの日。 百式は戻り、大尉は帰ってこなかった。 彼が死んだと一度も思ったことはなかった。いつか、飄々とアーガマへ戻ると信じていた。ティターンズを倒しても、ハマーン・カーンとネオ・ジオンは生き残っていたから、またエゥーゴの皆と戦うのだと信じていた。 だから、カミーユをアーガマから引き離したというのに…。 『Z』は、ソラに帰ってきた。 間違いようもない。カミーユはあれにサインをしたのだ。 もしくは、彼が、そこにいるのだ。血の滴るソラに。 あれほど忌み嫌った連邦軍に在り、かつて敬愛したクワトロ・バジーナ大尉…シャア・アズナブルと敵対する道を、彼は選んだのか……ファにはどれもが信じられないことばかりだ。 クワトロが、地球へ攻撃をしかけること。 Zが舞い戻ってきたこと。 …カミーユが………。 「…もう、見えないよ……わからないの!元に戻れないのは知ってるわ、 けど…あなたが何を見ているか、望んでいるのか…もうわからないッ!」 TV画面でキャスターが語ることは過去の話。 今、こうしてる間にも、命が散り、艦は弾け、モビルスーツは骸と化している。 (……イヤァッ!あれは、私たちの『Z』なんかじゃないわよ!) あの時、ウォン・リーを信用せず、空港へ行かなかったら、そうすれば、あの蒼い悪魔は産まれなかったのだろうか?…しかし、アナハイム社内でのウォンの処遇を知る術はない。月で別れて以来、一度として、彼がファ達の前へ姿を見せたことはなかったのだから。 彼女にとって幸いなのは、Re-GZに乗るパイロットの名がニュースに流れたことであった。ケーラ・スゥ…女性らしい。パイロットが知らない名であったことが、カミーユではないことが、ファにとってたった一つの救いだった。 「カミーユ…!」 別れなければよかったのだろうか。 地球へ引きとめればよかったのだろうか。 彼は月で医者として生きているはずなのに。 どうして、彼の分身が、そこにいるのか。 「…ねぇ、わかっていて?…それは、ひとを殺す道具なのよ…?」 彼は、リ・ガズィへどんな微笑みを向けたのだろうか。 -End- *ウォン・リー 『Z〜ZZ』でエゥーゴの出資者(金銭的援助者)の一人であり、MS産業の大御所「アナハイム・エレクトロニクス(AE)」の要人。AE社会長メラニー=ヒュー=カーバインより、エゥーゴへのアナハイム側行動の全権を任されている。彼はジャブロー降下作戦の強行姿勢やカミーユへの修正など横暴でみえるが、その実、規律厳しくも血の熱い行動派であった。 |
『蒼のリ・ガズィ』 2002/07/24 4:19:06 終筆 サンライズ禁 BGM:Resolution/Romantic Mode 本編とCCA設定には明らかな矛盾点がある。それは後に解消されます。 【Back】 |
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