不思議なもので、雨でも曇りでもないのに、ぐるり夜空を仰いでみたって、どこにも金色に輝く月は見えない。 「そりゃそうか、」 フッと自嘲を混ぜた吐息を零し、彼は、窓を閉めた。錠を下ろし、診療室の電気を消そうとし…カミーユは、また窓へと戻っていった。 「だから、月は出ないんだって…」 ひとり苦笑いを零し、引き忘れたカーテンをシャッと凪いだ。 夜光がカーテンレースをくぐり、床に永久の海を波立たせる。 ここは、フォン・ブラウン市。 月の半分、地球と面する地区にある地上ドーム型都市だ。 だから、ここでは月は見えない。それでも、地球で暮らしていた数年の癖はぬけないようで、彼は照れるように頬を掻いた。 夜、たえず月を仰いでいたのは、己の心が砕けた時からだとファ・ユイリィは教えてくれた。幼馴染で、今は地球に残してしまった女性。彼女との繋がりは友人よりも、家族に近かった。 (ファは…見ているかな……、月。) カミーユ・ビダンが『Ζ』を冠したガンダム型モビルスーツに乗り、数多の戦場を駆けぬけた刹那は、気づけば、遠い過去へ流れ去っていた。 ”超感覚”と評されるニュータイプの才能を最大限にまで発揮した結果、シロッコとティターンズという凶星の一片を砕くことができた。その代償として、力に押し潰されるように彼の器は砕けたのだが、愛機『Ζ』に搭載されていたバイオセンサーが負の因子となったことを彼は知らない。 カミーユが自我を取り戻した時には、ハマーン・カーンは既に亡く、ネオ・ジオンも彼女の後を追うように崩れていった。ジュドー・アーシタという明るい瞳の少年が、志半ばでカミーユの成し遂げられなかった未来の平和を紡いでくれた。その彼も、紡いだ糸を地球へ預け、遥か彼方、険しい木星へ旅立った。 カミーユの精神が回復した奇蹟と記憶の戻る時期は重ならず、3年かかって『亡くした0087年』を取り戻した時の彼は、軍人でも技術者でもなく、医者の卵であった。そして、記憶が戻った後も、彼が羽織るものはノーマル・スーツではなく、白衣だった。 アーガマへ戻る気もなかったし、帰るべき場所もなかった。 目覚めた時には、既に『カミーユ・ビダン』は殺されており、己には別の名前が冠されていた。カイ・シデンの仕業であった。それが誰の指図なのかは、全ての記憶が戻った時にカミーユは悟った。 だから、彼らの恩に報いる為にも、どこにも帰ってはいけないのだと悟り、自分の行き先を見据えたカミーユは、たったひとつ残されていた繋がりを手放した。 …ファに、別れを告げたのだ。心が痛まなかったと嘯けば、彼女を泣かさずに済んだのかもしれなかったが、彼はそこまで大人になりきれなかった。自分の愚行で彼女に迷惑をかけたし、これ以上悲しませるわけにはいかなかった。そして、自らもアムロ・レイの二の舞はごめんだとも、考えていた。 全てに離れ、全てを遠ざけて、全てに笑って、全てに施しを与え、カミーユは大勢の人が生き死にする病院の檻で贖罪するかのごとく、腕を振るった。それは、かつて7年も軟禁されたアムロと大差のない理不尽な戒めであった。 このまま地球で死んでいってもいいかと、病院の消毒液に身も心も浸されようとしたある年の冬、「医者が足りない」と辞令が降りて、彼は月へ飛び立った。 それがフォン・ブラウン市である。 ファは、教えてくれた。 「カミーユは、いつも、月を見ていたわ。 ほんと、よく飽きないわねって思ってたもの。」 宇宙へ還えることによって、また精神が暴走しないかと、彼女は危惧していたようだが、正直、月への派遣は願ったりだった。 (…月を見なくてすむ。) たえず月を仰いでいた癖から抜け出せるかと。 あの頃の、深淵に沈んでいた時間から踏み出すためには、一度は月へ行かなければならないと思っていたのだし。 月を、べつの何かにすりかえていたのならば、 月を見ることで、心を慰めていたというならば、 月光を浴び求めることで、逃げていたならば、 月を踏みしめ、ありのままを噛み締めることが必要だと、彼は考えていた。 ありもしないものを月に期待して、甘える時間は終わった。 今からでも遅くない。 貫くには。彼の理想を貫くのは、今からでも遅くないと信じていたい! だから… (どこに…いるのですか…) 眼鏡を窓辺に置き、枕に顔を埋めた。 カーテンのない窓。星明りが眩しすぎて、眠りは浅い。 眩しすぎて、目が痛い。目が痛くて、涙が零れてくる。それを拭う。 「……、い……」 気づけば、窓を開け放つこの掌。 「……た…い、い…」 そのつらい癖は、まだ、なおらない。 同年12月13日、新生ネオ・ジオン軍の総帥として、シャア・アズナブルは地球連邦政府に対し、攻撃を示唆する。 翌年、U.C.0093年3月3日、占拠地スウィート・ウォーターよりネオ・ジオン軍艦隊は地球へ向けて発進した。第2次ネオジオン抗争の始まりである。 その日、3月3日は カミーユと彼がグリーンノア1で出会ってから、6年と1日が経過していた。 -end- * カイ・シデン …初代ガンダムにて、ホワイトベース乗員(ガンキャノン・パイロット)だった青年。『Z』ジャブロー降下作戦時に、ジャーナリストとして再登場。カミーユ達にクワトロの正体を教え、クワトロことシャアを「卑怯者」だとなじる。 |
『フォン・ブラウンは眠れず』 2002/07/10 23:44:51 終筆 サンライズ禁 BGM:ID/ASKA 【Back】 |
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