Forbidden love






「…生きてくれ。生き続けてくれ。彼と、幸せにな」



優 し い 明 け

Written by Jun Izawa



 そんな馬鹿なことがあっていいのだろうか。
 アレルヤ・ハプティズムは天に銃を放った軍人の言葉に耳を疑った。

「たった今ソーマ・ピーリス中尉は名誉の戦死を遂げた」
 目を瞠る二人の前から連邦軍人は去ろうとする。部下の仇敵に背を向ける熟年の男にアレルヤへの殺意も、警戒心も見当たらない。のみならず、五年前の低軌道エレベーターの救助作戦で協力してくれたことを感謝すると言う。
(どうして、そこまで認めてくれる…!)
 マリーを大切に思う気持ちは二人とも同じだろう。だが、信頼ではないものの、無条件で彼女をアレルヤへ預ける気持ちは察せない。
「スミルノフ大佐!」
 離れていく上官へ思わず駆け寄るマリーを、アレルヤは呆然と見送ってしまった。己よりも長い年月を過ごしただろう男に勝てるとは思えず、また、涙ぐむ彼女を呼び止める術が見つからなかった。スミルノフは胸へ飛び込んだ体を拒むことなく、受け止め頭を撫でながら、マリーへ思いのたけを話した。

「…生きてくれ。生き続けてくれ。彼と、幸せにな」

(なんだろう…)

 二人の抱擁を見ても、不思議と嫉妬心は沸かなかった。彼がマリーと決別することを決めた後だからか。それとも、マリーが彼のことを親のように慕っているだけだからだろうか。一夜だけでも、マリーと二人きりで過ごせた安らぎがアレルヤの自信に繋がっているからだろうか。
(いや…そうじゃない、僕は)
 アレルヤは、どこかで聞いたことがあるのだと感じた。

「マリー…もういい、もういいんだ…」
 目を腫らして敬礼の形を崩さないマリーの手を後ろからそっと握りしめた。朝露に濡れたように、彼女の手はとても冷えていた。もういいんだと過去を断ち切らせるようにマリーの腕を下ろし、少しでも温もりを与えたくて彼女を抱きしめた。
「ありがとう……こんな僕に生きがいをくれて」
 幼い自分に名をくれた。辛い研究所の中で明るいあの子は、アレルヤにとって女神さまのようだった。再会して、一晩語り明かした彼女はアレルヤが神格化し過ぎていたことを後悔するぐらい、女の子だった。
 それでも、辛くて息をとめたくなる度に彼女を思い返した。ハレルヤの名が己の肉体ならば、彼女の名はまさしく心臓だった。
「マリー」
 恭しい気持ちのまま、彼女の唇を塞ぐ。
 空から一際大きな影が二人の頭上を通り過ぎ、瞼を綴じたまま風の気配にアレルヤの超兵たる感覚がケルディムガンダムと答える。
『生きろ!』
 ハッとした。
『どうした、ティエリア!』
『ティエリア!』
 それは、突風に薙ぎ払われる木々の悲鳴より鮮やかにアレルヤの鼓膜を打つ。
 それは、頭上のガンダムマイスターと瓜二つの声だ。
 それは、懐かしく痛ましい声だった。

「アレルヤ…?」
 愛しい女の声すら届かず、アレルヤは瞼を凍りつかせたまま、空を旋回するケルディムガンダムを見上げた。
(思い出した…!)




『まだ計画は始まっちゃいない。こんなところでリタイヤするなよ…生きろ、生きてくれ、お願いだ…!』
 スミルノフのように穏やかな声どころか、切羽詰った感じだった。現に状況がそうだったのだ。
 ソレスタルビーイングのドッグへ向かう小型艇に乗っていたアレルヤは、緊急通信で救助を乞う男の悲痛な声に耐え切れなくなり、不慣れな宇宙にも関らず船外へ飛び出した。スタッフの制止も聞かずに、ブーツの磁力と作業ワイヤーだけを命綱に、こちらへ向かう二つの人影へあらん限りの願いをこめて両腕を差し出した。
『手を貸してくれ、ラッセ!ガンダムで帰投するより、小型艇の方が速い』
 小柄な人物を抱えた緑色のパイロットスーツの男が先ほどの緊急通信の相手……『ロックオン』だろう。アレルヤのヘッドフォンに何度も『ロックオン』の名と『ティエリア』という名が流れていく。小型艇の操縦士と既知だったのか、彼はドッグにいるスタッフの指示を無視してこちら側の人間に救いを求めていた。右に左にと喚きたてる男たちの身勝手さにうんざりしながら、アレルヤはただこちらへ近づく男の焦燥を痛ましくみやった。
 通信回線は開いているはずなのに、彼に抱えられた一方のパイロットは返事どころかピクリとも動かない。無重力の宇宙にあって、体重差は関係なく腕一本繋ぐだけで牽引できるだろうに、体全体を自らで包み込んでいた。軽くて骨折、明らかに重篤の体だ。
『…生きろ、生きてくれ、お願いだ…!』
 切なく情の深い声に、アレルヤは二人はとても親しい間柄なのだろうと考えた。そして、初見だというのにロックオンへ好感も抱いた。
『大丈夫、まだ息があるよ。この人は助かる…助けるよ』
『…おまえ、』
『こんな状況の挨拶で失礼。初めまして、僕はアレルヤ・ハプティズム。ガンダム・マイスター候補です』
 初めてロックオンと目が合ったと同時に、彼の背後に後の愛機となるモビルスーツの姿をアレルヤは見た。キュリオスガンダム試作機が緑のガンダムに背後から羽交い絞めにされ、宇宙に漂う。灰色のハッチは万力で捻れたように無様な開きようだった。片足が生える直前で死んだ鳥のような機体。どんな事故が遭ったかは聞くまでもない。可変機能に障害が起きた。
 それに、テストパイロットの『ティエリア』という人が巻き込まれたのだとアレルヤは不憫に思った。
 まさか、彼が第三世代ガンダムマイスターの最初の一人とは知らずに。

 三人目のガンダムマイスターとして宇宙に上がったその日のうちに、アレルヤは過酷な運命と組織の非情を知った。それでも、彼に戻る場所はない。
 『戦争根絶』の崇高な理念をお膳立てされても、人殺しは人殺しだ。人革連の研究所と同じようにソレスタルビーイングを呪っただろうに、アレルヤは理路整然としたティエリア・アーデの毅然さに悩みを踏み散らされ、苦痛を年長のロックオン・ストラトスの励ましで和らげさせられた。最後に合流した幼いマイスターは、アレルヤの迷いを切り捨てる強さで頑なに前を見ていた。計画が実行され、疲弊する中、互いを思いやる気持ちに気づきもした。
 歪な形であれど、自分たちにも絆があった。
 マリーとあの軍人にもあったはずの、絆が。
(ソーマ・ピーリスは、あの男の娘になりたかったと…)
 より深い絆を求めた彼女を退け、自分へ預けたスミルノフという男の気持ちがアレルヤには分からなかった。分からなくて当然だった。アレルヤは、志を同じとする仲間の情は知っていても、家族の絆を知らずに生きてきた。ソレスタルビーイングの仲間にもそういう不遇な過去を持つ者はいただろうから、別段、己だけが不幸とは思わなかった。
 短いながらも、束の間の絆はクルーとマイスターを繋いでいた。少しずつ手繰り寄せ、傷つかないようにゆっくりと結びつけた者は他ならぬロックオン・ストラトスだ。孤高のティエリア・アーデの心を開いた者も、彼だ。
(似ていたから…)
 マリーから聞いた超兵ソーマ・ピーリスの造られた非情さは、四年前のティエリアと似ていた。それでも、頑なの内で柔らかい情はあると信じて手を差し伸べ続けたのだろう、あの男たちは。
 セルゲイ・スミルノフ。
 ロックオン・ストラトス。
「…生きてくれ。生き続けてくれ。彼と、幸せにな」と軍人は言った。
「ティエリア!」動かないヴァーチェに、デュナメスは我が身を盾にした。
 マリーとスミルノフが抱擁する影が失せ、代わりに、医療室で右目の治療を拒むロックオンが意地を張る様がアレルヤの脳裏に浮かんだ。
 ティエリアの策を振りきって、出撃したデュナメスとGNアームズ。ジンクスの集中攻撃を受けるヴァーチェをキュリオスも知っていたが、援護できずにいた。体調の不利を推して、デュナメスは戦場に出て…そして…。
 計画遂行と仲間を案じる以上の情を彼が彼へ注いでいたことを、四年以上経った今のティエリアが見せる微笑みでアレルヤは気づいた。

「…生きてくれ。生き続けてくれ。彼と、幸せにな」と軍人は言った。譲った。身を引いたのではない。己の幸せを、幸せになる道筋をただ、アレルヤへ譲ったのだ。マリーが……ソーマ・ピーリスがこれ以上苦しまないようにと。
 ティエリアが笑う。あのティエリアが笑い、「おかえり」と声をかけ、冗談と言葉を濁して、本心を隠す。そして、隔てなく優しいティエリア。
 ロックオンが庇わなければ確実に死んでいた、見ることのなかったティエリア。
(あの時もしも、と考えていた。けれど、あなたは僕が始めて会った時から)
 ロックオンは彼をこうして愛していたんだと、悟ったとたんに胸を絞られる苦しさに息を詰まらせた。こんな形で、愛を知りたくはなかったと憤りを感じた。
 こんな愛、自分には抱けない。
 ハレルヤは、『本能』だ。生への渇望が彼であり、彼そのものだ。アレルヤも許されるなら、生きていたいと願っている。…だからこそ、怖い。
(また、マリーを見捨ててしまうかもしれないのが、怖い)
 こんなに…
「愛してる」
「ア、アレルヤ…?」
 こんなに…愛しているのに、
「愛している、マリー」
 頬を赤らめる彼女を両腕に閉じ込めて、アレルヤは柔らかな首筋にツンと冷えていく鼻を押し当てた。
「ねえ、どうして悲しいの…?」
(そうか僕は、かなしい、のか)
 胸の中の激しさに我を見失いかけ、アレルヤは彼女の脳量子波の優秀さに救われた。
(悪いけど…僕の手はマリーだけでいっぱいだ、いっぱいなんだ!)
 生命の灯火、運命の蝋燭を黙って摩り替えた優しい愚者。
 こんな形で、愛を知りたくはなかったと嘆きながら、天へ去っていった男にあらん限りの罵倒を。

 雨に濡れた森林の青々しい香りと潮風が混ざり、胸に重い空気を贈る。白と青と紫がうすらと渾然する夜明けの空は優しい色を浮かべていた。
 ああ皮肉なほどに、地上の自然は今日も美しくて、目に眩しい。
 朝靄の中、近づく緑のパイロットスーツが幻でなければ、問いたい。
 あなたは、誰だと。



- end -


『優しい明け』
2008/12/02(火) 01:21 終筆
2008/12/20 (土) 04:24 加筆
サンライズ禁
BGM:優しい夜明け
*00 2nd season 第7話をリライト。後半は完全捏造。
*「…生きてくれ。生き続けてくれ。彼と、幸せにな」で思いついたネタ。
ニールの愛は父性愛でも自己犠牲愛でもなく、ただ愛する人を
失いたくなかっただけの普通の恋情。ただし、激しくて、重い。
それがニルティエクオリティ。


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