Forbidden love







永 久 に

Written by Jun Izawa


 彼の書斎へ訪れる度に、私はふと些細な違和感に襲われる。

 ああ、そうか。フ、と気が緩む。
 窓べりのフォトフレームが違うのだ。昨日とは違う笑みを浮かべた少女がこちらを見上げている。日に晒しすぎたか、色が薄い。いや、月日が経ち過ぎたのだ。
 写真の中の『少女』が生きていれば、今年で十六。
 女が結婚を法的に許され、子を孕むことを合法に許される年齢だ。
 イオリアが待ち望んだ年が、遂に着てしまったのだ。

 息苦しさをごまかすように、パイロットスーツのファスナーを引き下げた。胸の膨らみにそって落ちていく汗が冷たくて、不快だ。
「本日分の試験データを検証してみました」
「うん」
「脚部のフレーム強度に不安材料があります。起動実験は順調ですが、全体の重量に駆動力が追いついてません」
「軽くすれば腰から砕けるし、重いければ立ち上がれないしね」
「……伝導電子ではなく、やはり、原子力を使うべきでは?」
「僕はアインシュタインが嫌いでね」
「…イオリア?」
「彼は、その発見が悲劇を齎すことを予見しながら、取り下げなかった。むしろ、戦争の最中に差し出した愚か者だ」
 それを、貴方が言うのか。イオリア。
「…国への憎しみ故だ。そして、僕は……」
 青年の視線は卓上の書類に注がれたまま、その指先だけが離れたところに飾っていたフォトフレームを慰撫する。指先の行方を一瞥して、私は彼女の誕生日の為に花を持ち込むべきか、束の間迷った。浅くない付き合いをしていたに関らず、彼女の好みを、私は知らない。しかし、その訳もすぐに分かった。
 エルデは、花を満遍なく愛していた。
 愛らしく、天使のような子だった。


「イオリア」
 私の声に、ピクリと彼の肩がさざめく。彼の指が夢から現実へと戻っていく。彼を彼女から引き戻すのは心苦しいが、これは私だけの仕事だと割り切って、固い顔を作りだす。
「駆動エネルギーが現段階で机上の空論である限り、今は、原子力でいくしかないと思う」
「君は、」
「これ以上、計画の遅れは認められない。貴方が生きている間に、ムバーブルフレームの確立と第六世代ロボットの開発は完了させなければならないでしょう?」
「その為に、パイロットを被爆者にさせるというのか!」
「その、パイロット自身が了解している」
「……君は……償いのつもりか…」
 彼の呻きに、私は微笑んで首を振った。横に。パサリと頬に当った髪が汗臭くて嫌になる。さっさとここを退散して、シャワーを浴びたい。彼に、汗臭い女と思われたくない。
「元々ロボット開発は私の専門分野だったの、忘れてない?この研究の為なら、私の生涯を賭けたっていいわ」
「……寿命が縮まるのを分かって言うのか?」
「ええ」
 ええ、イオリア。

「私が死んだら」
 ハッとした彼の目に映る自分の顔は、嘘くさいほど優しい面差しだった。
「自由にしていいわ。私の体、なんだって使っていいの。合法的に試料にして頂戴」
「…いいのか、潔いのも考えものだぞ」
「だけど、お願い」
「なにを…」
「どうか、私を宇宙へ連れていって」
 罪には罰を。だが、憧れだけは捨て去れない。
「いつかの私を、どうか、イオリア、」
 子供の頃見上げた夜空は、今だって遠かった。
 遠かったから。




 アースグリーンの蛍光ランプが床下一面を照らす。保育カプセル『ナンバー5』の気泡量は日々嵩み、他のナンバー達はそれの異変を知ったことかとばかりに、四肢沈黙したままだ。

「ヴェーダの裁定が出た」
 保卵室の扉を開けた男の声はいささか興奮ぎみだったが、その全身は乳白色の防護服に覆われ、顔面のバイザーも紫外線を防ぐ為の黒色で表情など拝めるはずはなかった。しかし、室内の研究員たちは「おお」と喜びの声を上げ、一様に保育カプセルを見やった。
「『ナンバー5』の突然の成長率には驚いていたが…ヴェーダの仕業か」
「第三世代マイスターには、新たなバージョンの端末でいくのか」
「肉体は過去のものより脆弱だが……計画書どおりにいくしかないな」
「知識はどこまでインストールする?」
「ヴェーダに一任だ。我々が管理することではないらしい」
「リボンズ・アルマークの離反を再び起こすわけにはいかないしな」
「こちらは最小限の情報だけでいいだろう。どうせ、十年も稼働するわけじゃない」
「生体データを、MS開発班に送信していいのか?」
「ヴェーダに確認を取れ。トライアルシステムのこともある」
「ああ、それで、『5』の登録名義はどうする?」
「変更はない。計画どおりだ」
 研究員たちの指示に従って、覚醒シークエンスの手順を整えていた技術士は後ろを振り返った。彼らの手には同じマークを描いた書類があった。
 ソレスタルビーイング計画。
「イオリア・シュヘンベルグの計画どおり、これには」

「女のような名前だな」
「女だよ。…おまえ、知らなかったのか?」
「何が」
「モビルスーツ開発時代のパイロットの名前だよ、それ」
「俺は、上位種開発初期の細胞提供者だと聞いていたが」
「噂の域を出ない情報だな…どれも」
「そういや、第二世代のコード名はタロットだったが、今回のガンダムは天使名らしいな」
「天使を産んだ女。まさしく、聖母か」




 イオリア・シュヘンベルグは、残り少ない命を賭けるように、署名したばかりの『計画書』の封印に己の血を使った。ペーパーナイフで親指を傷付け、計画書の裏一面に血痕を落とし続けた。偽造はさせない。計画は揺るがせない。何があろうと、どんな困難があろうと、続く、続けさせる。天使と誓った。
 己が死んだ後が計画の始まりだ。どれほどの人間が犠牲になり、策謀を巡らせ、舞台の主役を奪い取ろうとするだろう。どれだけの人間が、己に賛同していくのだろう。否定するのだろう。どれだけの……
「どれだけ待てば、君を宇宙へ連れていってやれるのだろう…?」

 彼女を亡くしてから、彼女を愛していた心に気付いた。遺志に従い、彼女の遺体を試料にすべく解剖する時点において、イオリアの手が震えたのだ。
 彼女がパイロットを務めたロボット…今では『モビルスーツ』と呼称している機動兵器の動力を伝導電子から原子核に換装する時、被爆障害を怖れて、彼女から子宮と卵巣を取り除いた。その際、彼女に出産跡があることに気付いたが、嫉妬に駆られることもなく平然としていられた。
 嫉妬心は、彼女を失った後にきた。彼女の血を引く子供に興味をそそられたのは、悪魔が運命の輪を回したせいか。
 エルデが殺され、エルデの護衛だった彼女が解雇された後、イオリアと彼女が再会したのは一年も経たなかった。財閥令嬢の家庭教師だけで終わらすには惜しい己の頭脳を青田買いした国軍のスパイが彼女の正体だった。謀ったことに怒りを湧かせることもなかった。天使が狙撃された時彼女は傍に居なかったし、絶望の淵にいたイオリアを女の柔肌で慰めてくれたのも彼女だった。今でも感謝している。
 まだ見ない彼女の子供に、イオリアは援助を申し出るつもりだった。イオリアと離れていた数ヶ月の中で彼女が出産したことは間違いなかった。再会した後は彼女と己は計画の共謀者として、付かず離れずの位置で研究と開発に凌ぎを削っていたのだから、彼女が孕む機会はほんの僅かな期間しかない。ともすれば、我が子かもしれない期待も、イオリアにはあった。
 苦心の末に辿り着いた子供…青年は、彼女の色を欠片も残さず。だが、DNAと笑顔だけは彼女の在り処を教えてくれた。
 緑青の瞳と茶色の髪。どれも、彼女もイオリアも所持していない染色体の証だった。

「ヴェーダ」
 神には訊ねない。神なぞいない。
 ただ、イオリアが答えを求めるものは、もう一人の『彼女』だけだ。

 調査書を持つ手が震えた夜を覚えている。
 彼女が孕んだのは、イオリアのではなかった。
 この世で一番憎い男のファミリーネームが、そこにはあった。

「ヴェーダ。君に植え付けた復讐は、愚かしいものかい?」
 だが、何十年経っても消えない憎しみの焔を消すには、これしかないのだと先の未来へ嘯く。

 確証はない。だが、彼女と同じくエルデの護衛だったあの男もまた運命の日に悲劇の現場に居なかった。休暇と聞いていた。だが、その日の夜に邸宅へ戻ってきて、今度は二度と現れなかった。
 銃の腕がとてもいい男だったと覚えている。エルデも慕っていた。だが、あの男はいつも彼女を見ていた。だから、イオリアはあの男へ嫉妬を懐くことはなかった。

「君へ、僕の銃を委ねよう。撃つのも、やめるのも、君次第だ…」

 彼女が死んでいてよかったのか、悪かったのか。彼女の真意を知る術は、もうない。彼女の肉体を復元しても、彼女の記憶を、心を復元することはできない。

 だから、託す。
 希望も呪いも、数百年後の『君』へ。
 彼女の細胞と私の知恵が作り出した、私たちのこどもの、君へ





 イアン・ヴァスティは文字通りルンルン気分で、『オペレーター』の帰艦を待った。
 哨戒任務を終えた緑色のモビルスーツがコンテナに収納され、パイロットが戻ってくるのが待ち遠しくてならなかったが、無為に通信回線を開くことはやめておいた。機体はまだテスト段階のものであるし、乗機パイロットの神経質ぶりを鑑みれば、彼が自身の口から申し出る方がこちらも追従の手が出しやすいというものだ。
 ガンダムマイスターの二人目が選任されたという朗報は、イアンと馴染みが深い医療スタッフのモレノから聞いている。宇宙に出たことがないというその候補者に向いたナノマシンを合成しなければならないらしく、開発者のモレノ医師に一番の報が届いたらしい。ヴェーダの直接送信は本来機密ものだが、数時間後にはヴェーダのオペレーターからも同じ報告が為されるのだからと、モレノはイアンにこっそりとリークしたのだ。

 ダークパープルのヘルメットを抱え、コンテナの待機室へやってきたパイロットは、イアンは軽く手を上げただけで激しく顔を顰めた。
「おいおい…また『ヒトと話す気分じゃない』とか言わないよな」
「……基地からの報告義務がありますから、貴方へ話すことを俺は厭わない」
「まった、えらく固いなおまえさん…ヴェーダと喧嘩でもしたのか?」
「冗談じゃない!…ただ、」
「ただ?」
「………困惑しただけです。今回の選出は不可解すぎる」
「不可解?マイスターの選出にヴェーダが贔屓をしたとでも?」
 『マイスター』の語に射殺すような視線を向けられたが、イアンには日常茶飯事だったので効果は無かった。チッと舌打ちをして、パイロットはヘルメットを宙に投げ捨てた。珍しい彼の動揺を見て取り、イアンはおどけた仕草を収めて、親身に彼を見やった。
「どんな奴だ?そいつ」
「イニシャルしか知らない」
「おいおい、ここにきてまでヴェーダは出し惜しみしてんのか?」
「レベル7の機密事項です。ヴェーダに無理を言って、地上でのテストデータだけは参照させてもらった。フィジカルもテクニカルデータも、ガンダムデュナメスのマイスター候補リストから抜きん出ているわけでなかった…」
「…ふうん、眉間の皺具合からみるに『中の上』ってところか。それが、おまえさんには気に食わないと」
「当たり前だ!マイスターに要求されるものは最上でなくてはならない。中途半端な者に貴重な太陽炉搭載型を使われてはたまらないのは貴方もでしょうが、イアン・ヴァスティ」
「まあな。…それで、そいつの名っていうか、イニシャル教えてくれないか?」
 幾許か躊躇う唇が、ひどく子供じみていて、イアンは彼にしては珍しいなと耳を傍立てた。そんなに発音し辛いだろうか。まあ、今後はコードネームが与えられるから本名のイニシャルなど聞いたところで活用することないのだが、話の種というものだ。
「エヌ・ディー」
「N・Dか。…うーん、N…ネイト、ニック、ニール、ノーベル、ううーん。D…D…ド、ド、ドナルド?あーチクショウ、思い浮かばねえ!どうだ、なんかあっか、Dから始まるファミリーネーム?」
「人物辞典でも開けばいいでしょう、イアン・ヴァスティ」
 俺は興味がないとばかりに踵を返すパイロットへ、忘れ物だとヘルメットを投げやり、イアンは一人きりになった待機室で溜め息を吐いた。
「誰だよ、あんな苛烈な男に可憐な名前つけた野郎は…」
 名前と顔は合っているのに、性格が全てを台無しにしている。

 直にここへ訪れるだろう二人目のマイスターへ、イアンは気苦労が耐えないだろうなと憐れみの声を上げた。

- end ? -

永 久 に
? 終筆
サンライズ禁

*イオリア恋バナ。2期8話予告PVの「おっぱいティエリア」で、追加された妄想。超絶オリジナル路線。300年前の話でイオリアさんの純情恋バナ。でもロクティエ。ロクティエなんです。
(1/31)WEB掲載版は本文の一部を省略させていただいてます。
完全版は同人誌『ノーザンクロス』に収録しています。

 本編での「僕が推したんだよ、刹那」発言には、先にやられた!と悔しい思いをしました…orz うちの兄貴選出にはグラーべが見つけた偶然もあったがヴェーダ自身にも介入されたんだよーて具合です。

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